真紅の願い二次創作月姫

真紅の願い

「アル、ク……」  彼女の華奢な腕に抱かれ、首筋に真っ白な刃を突き立てられる。  この時、僕が人から死徒へと作り変えられる瞬間にも、アルクェイドは泣いていた。  真祖。生まれながらにして吸血姫たる者。  星々の意志を紡ぎ君臨したとされる彼女が恐れた事は、あまりにも人間染みていた。  彼女は、死ねないのだ。  人の血を啜り、遺伝情報を体内に刻み再生を繰り返す吸血姫。その生き様を続ける限り、永遠の命を授けられたに等しかった。  以前の彼女であれば、不老不死の宿命を恐れることは無かったはずだ。それが今になって「死ねない」事をこんなにも恐れたのは理由がある。  彼女は、僕を愛してしまった。取るに足らない人の人生の何たるかを理解してしまった。  理由も無くこの世に生まれ、成長し、やがて恋に堕ちては、死んでゆくだけの存在。意味も意義も与えられない物こそ「人生」であり、そんなものに以前の彼女は興味すら示さなかった。  それでも、彼女は、僕と出会い、その手をとった。二人で世界を巡り、手を重ねて、夜空に浮かぶ月を手中に収めた。  そこまでして、理解できない筈が無い。今の彼女は弱い。この恋が僕の死によって終わりを迎え、永遠に独りで生き続けるなんて耐えられない。そう、思ってしまったのだ。  僕、遠野志貴という人間は、他愛もない平凡な輩だと勝手に思い込んでいたが、彼女、アルクェイド・ブリュンスタッドにとっては、喪う事すら考えられない程の、最愛の恋人なのだ。  そんな当たり前のこと、どうして気づいてやれなかったんだろう。  最近の彼女は、いつもどこか遠くを見つめていた。  声をかけても、虚ろな声で大丈夫だよ、と。  そう言って浮かべるにこやかな表情の裏で、恐怖と辛苦を必死に押し殺していたのだと思うと、鈍感な自分を殺してやりたくなる。  ある新月の夜。ベランダで啜り泣く声が聞こえ、足音を立てずに近づくと、そこには、真紅の涙を流す彼女が居た。 「──どうしたんだ、アルク」  無意識に、僕はそんな言葉を口にする。分かっていた筈だ。彼女はずっと悲しんでいた。それに気付いていない振りをして、また何時か、彼女が笑ってくれたらなと、そんな無責任な期待を寄せて、僕は彼女を孤立させたのだ。  ごめん、ごめんよ、アルクェイド。  問いかけた声に驚き、ゆっくりと振り向いた彼女の表情は、怯えと悲しみに満ちていた。  その時、初めて彼女は僕に、辛い、という感情を見せてくれた。それでも、直ぐには彼女の胸中を話してはくれなかったが、何があったのか正直に話して欲しいと、その時にできる精一杯の優しさで、彼女に報おうとした。  そうして彼女は、僕の目を真っ直ぐ見て、怯えながらも一言ポツリと、私の死徒になって欲しい、と述べたのだった。  死徒とは、真祖の血を分け与えられた眷属であり、後天的な吸血鬼である。  僕が彼女の死徒になれば、老いも死も無縁なものになるらしい。それは、人生の死を意味する。永遠に世界から取り残され、時の流れにすら隔絶されたまま、生き続けるのだと。化け物として、他者の命を啜って生きるだけの存在に成り下がる事は、この上なく辛い事であると、そう、教えてくれた。  それでも彼女が、僕をそんな存在へと変えたがったのには理由がある。  人である僕はやがて死に、化け物である彼女は生き続ける。僕を喪えば、彼女は独りぼっちになる。それを想うと、苦しくて、胸が張り裂けそうになる。かつて僕の手でバラバラにされた痛みですら平気だった彼女でも、いつか訪れる永遠のお別れには耐えられなかったのだ。 「志貴、ごめんね……。こんなお願い、志貴を困らせるだけだって、分かっていたはず、なのに……」  彼女は泣きながら、僕を抱きしめて、顔を胸に埋める。赤い涙が彼女の頬を伝い、嗚咽だけが聞こえる。  いいんだ、アルクェイド。  怖い思いをさせて、ごめん。  言葉にはならずとも、僕は彼女の悲しみを受け止めていた。彼女の頭をそっと撫でて、大丈夫、大丈夫だよと伝えてあげる。  今は、これだけでいい。ゆっくりと時間をかけて、彼女を安心させる。  ──そうして、どれほど長い時間が経ったのだろうか。  時の流れという感覚すらも忘れ、悲しみに暮れる恋人を慰めてから、僕には、ありとあらゆる思考が抜け落ちていた。  泣いて縋る彼女の姿なんて、初めて見た。どんな敵も恐れない彼女が、生まれ持った運命に嘆く姿など想像もつかなかった。  要するに、彼女は、遠野志貴を頼りにしている。  その事実が、どうしてこうも、嬉しいのだろう。その時点で、答えはとうに決まっていた。 「……えへへ、志貴は優しいなぁ」  僕の胸の中で、彼女は笑う。随分と久しい笑顔だった。 「アルク。初めて出会った日の事、覚えているかい?」 「うん。忘れる筈、ない」  そうか。ならば── 「僕は、約束した。君を殺した責任をとるって」  君の手をとって、外に連れ出した僕の責任を、ここで果たすしかない。 「アルクが独りになりたくないなら、僕がそばに居てやる。いつまでも」  彼女を強く抱きしめ、誓いを立てる。永遠の愛を、彼女に捧げるために。  僕の言葉を聞いた彼女は、驚きのあまり息を吸い込み、言葉を詰まらせた。恋人の素直な言葉。告白としては実直すぎるが、彼女の心を揺さぶるには十分であった。 「……志貴、だめだよ。そんなことしたら、志貴が、人間でなくなっちゃう……。ずっと、ずっと生きていかなきゃいけないんだよ。私と同じ苦しみを、志貴が受ける必要なんて──」 「いいんだよ、アルク。まともじゃないなんて、お互い様だ」  そう、初めから分かっていた事だ。僕たちは、互いに奇妙な因果によって結ばれた存在だ。今更“普通”であることに固執するつもりはない。それに、苦しんでいる彼女を救ってやれるなら、僕がどうなろうと構わない。そう思えるほど、僕の愛は、彼女に忠実だった。  僕は彼女を抱き留めた腕を解き、一歩だけ退く。そして、彼女の前に跪き、片膝をついて、見上げる。双眸は赤く潤んでいた。僕が愛した彼女の瞳、泣かせた僕の罪、それを自覚する。  両手を差し伸べて、彼女の手を包む。今ここで、忠誠を誓う。 「真祖の姫よ、我が魂は御心のままに。永劫の愛を、貴女に捧げます」  誓文は奉読された。遠野志貴の生殺与奪の権は、我が姫に委ねられた。後は彼女次第だ。 「志貴……」  彼女の嗚咽が聞こえる。僕はその顔を見つめ、ただ、返答を待っている。彼女は、大いなる喜びと罪悪感で鬩ぎ合い、感情が抑えられずにいた。僕の愛を受け入れれば、僕は人でなくなる。それが、彼女にとってどれだけ重い罪なのか、そして、僕にとっても、それがどういう意味であるのかを、彼女自身が一番理解している筈だから。  実際のところ、僕の判断は軽薄だったと思う。いずれは、この瞬間を後悔する日が来るのかもしれない。死徒になって、藻掻き苦しむような日々を送るのかもしれない、けど。  彼女を、放っておく事なんて、許せるはずもなかったのだから。  だから、しょうがない。これで良かった。そう思う。 「ダメ、なのに……。志貴の人生を、私が滅茶苦茶にしちゃう、なんて。私、なんかの、為に……」  彼女は必死に、僕の誓いを拒もうとした。しかし終に、僕の手を振りほどく事はしなかった。いや、出来なかったのだろう。僕の愛を拒んだ未来を、彼女自身が拒絶しただけであった。 「アルク」  そう一言だけ、呼びかける。穏やかな表情で、彼女を伺う。  もう良いんだよ。僕がずっと、そばにいるから。  だから、もう──。  泣かないで。 「……ありがとう、志貴」  彼女は、僕の手をギュっと握り返した。  その表情に、悲しみはない。彼女の穏やかな笑みが灯る。  ああ、アルクェイド。君にはその笑顔こそ相応しい。僕が傍に居る限り、その笑顔を絶やさないでおくれ。  ──僕は本来、皮肉屋だ。素直なことを言う質じゃない。彼女の前でも、率直に好きだなんて、恥ずかしくて言えなかった。  それでも、今は伝えなくては。僕の想いが彼女を癒し、あらゆる悲しみを拭うのであれば、僕は何度でも愛してると言ってやる。  僕の手に包まれた、彼女の手の甲に恭しく口付ける。隷従の契約は今結ばれた。我が身は永遠に貴女の物。互いが、世界の死と共に滅ぶその日まで、僕は彼女に付き従う。  彼女の前に立ち、再び抱き合う。頬を伝う赤い涙を、僕の指でそっと拭ってやる。 「もう泣くな、アルク。僕を好きでいてくれて、ありがとう」 「……うん。大好きだよ、志貴」  ──こうして、その日はずっと互いの温もりを確かめ合っていた。それだけで良かったのだ。まともじゃない僕らの、無邪気な恋。星骸の空に掛ける、果てしない理想。その先がたとえ地獄であろうと、今この瞬間はどうでもよかった。ただ、アルクが欲しかった。

 満月の夜。  千年城、アルクェイドの王宮にて、儀式は行われた。  王女の部屋、月光に照らされた彼女は一際美しく見えた気がする。  寝台の上、僕と彼女は互いに向き合う。素肌を晒すのはどうしても慣れない。 「……志貴、準備はいい?」  彼女の問いかけに、僕はコクリと頷くと、ただ、分かった、と答えた。  彼女は品やかな手つきで、僕の胸から肩へと指を這わせる。右手の人差し指で、僕の首筋を擦ると、何かを見つけたかのように手を止める。  何も言わない。静寂な夜に伝う、耽美な動向。  そして、ゆっくりと顔を近づけると、吸血姫の宿願を曝け出す。唇で首筋を食み、白い刃を突き立てる。 「──好きだから、吸わない」  夕日に呑まれた教室で、かつて彼女はそう述べた。その言葉はきっと、本当だ。吸血姫の衝動なんかで、決して恋人を傷つけまいと宣言した彼女の思いに、一切の嘘や偽りは無い。  本当は彼女だって、こんな事、したくないのだ。ずっとそのままで居て欲しかった。それでも、彼女の理想がそれを拒んでしまった。人間の器では決して解決出来ない事を、望んでしまったが為に、僕という存在を根底から覆すことになってしまったのだから。  だってほら、その証拠に──。  僕を噛もうとする彼女は、泣いているのだから。 「アルク、僕は大丈夫だから。構わず、やってくれ」  身体の力を抜き、全ての警戒を解く。彼女から流れ込む“血”を受け止める体制は整った。 「……じっと、しててね」  首筋に刃が刺さる。彼女の唾液が皮膚を濡らし、体内に溶け込んで麻酔薬のように浸透する。  痛みは無かった。その代わり、と言っては何だが、身体が内側からほんのりと熱くなる──ような、まるで媚薬を刷り込まれて、身体のあちこちが過敏になったような気がして、思わず声が漏れる。 「アル、ク……」  血を感じる。血流が早くなる。注がれたのはきっと、“赤い悪夢”だ。  これから二人で見続けなくてはならない、真紅の地獄。世界の淵に佇まなくてはならない、孤独という宿命。もう逃れることは出来ない。死徒が辿る運命。それは、自然の摂理から外れた者への代償であり、贖うことすら赦されないものだ。  ……鼓動が聞こえる。しかし、これは僕のじゃない。そうか、彼女の鼓動が僕の血を滾らせているのか──。  注射針。長い。押し込められる。普通だったら直ぐに抜かれる。溶け込んだ物質は役目を終え次第に消え去る。だけど。  アルクェイドの血は、ずっとそこに在る。僕の血を犯す物。遠野志貴の遺伝子情報と交じり、死徒として新生する。変容する。もう元には戻れない。やがて僕は別人になるだろう。それでも──。  彼女を愛する心は不変だ。  我が魂の所在は此処だ。  確立するものはそれだけで十分だ。僕という器は何であれ構わない。その覚悟を以て、今を迎えているのだから。  意識だけを、維持する。激しい何かに襲われて、時折身体をびくりと震わせる。気が付けば、彼女を強く抱きしめていた。  ──。  ────。  ────志貴。  ────聞こえる、志貴?  音が、する。  背中? とんとん、と優しい手つきで叩かれる。まるで乳飲み子みたいだ。 「────終わったよ」  朦朧とする、頭を、起こす。視界はまだぼやけている、が、視線をゆっくりと、声の主に戻して、意識を取り戻す。 「…………はあ、はあ…………あ、あれ。アル、ク? ……僕は、一体」  ダメだ、まだ鮮明じゃない。視界に映っているだけで、それが何であるか認識できていない。 「そっか、直ぐには順応できないもんね。でも、安心して。丸一日経てば、私の血も馴染んでいるはずだから」  そうか、そうなのか。それなら、良かった────。 「……良かった、アル、ク…………」 「うわっ、志貴、大丈夫!? って、そっか。初めてだもんね、身体も疲れちゃったか」  抱きしめた彼女の華奢な体躯に身を委ね、そのまま倒れ込み、意識が飛ぶ。やはり限界だった。でも、仕方ないか。今の彼女なら、きっと、不安に思うことも、ない、はず、だから────。 「おやすみ、志貴。ちゃんと寝つけるように、私が傍に居てあげるからね」  お互いにベッドで横たわり、抱きしめあいながら、就寝する。僕はもう何も考えられず、ただ彼女の温もりだけを享受していた。

 深夜。  儀式を終え、最愛の人と抱き合いながら、就寝している。  私は、まだ寝付けなかった。これからの事、恋人・遠野志貴の未来を想うと、不安がどうしても拭えなかったのだ。  それでも、もう泣くことは無い。今だけは、私の為に頑張ってくれた彼を労わなくてはならない。  彼は今、私の腕の中で寝ている。時折、すーすーといった寝息が聞こえ、なんだか可愛い。 「あ、志貴、眼鏡外してない。……起こさないように、慎重に」  フレームに手をかけ、ゆっくりと眼鏡を外す。彼の素顔が露わになって、思わずドキドキしてしまった。 「……カッコいい」  凛々しく整った顔つきには、冷酷な殺人貴としての一面も、人としての甘さも、その両方を兼ね備えていた。私を殺した悪い子。私を射止めた男の子。ずるいよ、そんな顔されたら、私だって惚れちゃうじゃないか。 「……ねえ、志貴」  赤き悪夢を見ている少年には、きっと届かないであろう、か細い声。それでも、私は続ける。 「……貴方は、いつかきっと、後悔すると思う。私を選んだこと、私に狙われたこと、全て」 「でもね、私は、絶対に諦めない。志貴が辛い思いをしたら、私が傍に居て、慰めてあげるから」  たとえその時、何度も彼に殺されるとしても、構わない。私という存在を以てして、彼の心を癒して見せる。だから──。 「……だから、志貴。貴方も、私の傍に、居て頂戴ね……」  気付けば、彼の頬に手を伸ばしていた。私の馬鹿。疲れてるのに、起こすような真似しちゃダメでしょ。  でも、伝えたい。愛してるって、伝えたい。  私は、唇を寄せて、触れようとした。少しだけ、彼の感触を味わいたい。その欲張りさは、一生かけても治らないのだろう。一瞬だけで良い。彼が欲しい。 「──ああ、約束だ」  そんな、彼の言葉が聞こえた。  嘘、起きてたんだ、志貴。  ……ごめんね。私、やっぱり我慢できなかった。だって、目の前に好きな人がいるんだもん。何もしない、なんて、私には無理だよね。  情けない言い訳。そんな弁解の余地すらも与えずに、彼は私の唇を奪った。  舌を交えて、互いの口腔を弄る。志貴とは、もう何度も交し合ったけど、今夜は特段に良い。私の胸に開いた欲望の孔に、とくとくと愛情が注がれる。満たされる。他には何も要らない。 「んんっ……」  彼の背中を撫で回しながら、キスの最中に吐息を漏らす。じっとりと、深く、長く。永久に生きる恋人の形を忘れないように。貴方を覚えて、私を忘れないで。刹那、互いの情動が愛欲を揺らす。  ──唇をゆっくりと引き剥がす。先に目を開けたのは私だった。彼の綺麗な睫毛が映る。私と彼の唇の間に、透明な橋が架かる。繋がりの証。満たし合う関係性の証左。本来は許されないはずの、禁断の恋。私の居場所は──もう、彼の傍だけだった。  志貴の目が開かれる。……もう、そんな目で私を見ないでよ。恥ずかしいじゃない。  それでも、改めて、言わなきゃダメだよね。  死と破滅を招くことでしか出会えなかった私達。外の人達みたいに、もっとロマンチックな出会い方をしてみたかった。──だったらせめて、私だけの王子様に、とびっきりの挨拶をしてやるんだから。 「──ねぇ、志貴」 「──なぁ、アルク」  あっ。  んもう、折角私が覚悟を決めたってのに。でも、待ってあげないんだから。もう、貴方の前じゃ悲しまない。自由で、天真爛漫な少女として、誰よりも元気に振舞ってやるんだ。 「わ、私。貴方の事が大好きです! だ、だから。これからも、よろしくね! 志貴!」  ほら、つっかえた。それでも、最大限の笑顔で。  彼が好きと言ってくれた、私の笑顔で。 「……ああ、よろしく。アルクェイド!」

 真紅の願いが、今宵、托された。  二人の運命がどうなるかは分からない。  それでも、永遠の愛が、本当に成し得ると思うのならば────。  ────どうか、お幸せに。